加賀市議会 2020-12-09 12月09日-03号
福井地震は、戦後の大きな地震としては、東日本大震災、阪神・淡路大震災に次いで3番目に多い犠牲者を出しています。この体験を教訓に、コロナ禍だからこそ、備えあれば憂いなしの精神が必要ではないかと考えます。 加賀市では、毎年恒例の市挙げての防災訓練を実施しております。しかし、本年は皆様も御承知のとおり、新型コロナウイルス蔓延によりやむなく中止となりました。
福井地震は、戦後の大きな地震としては、東日本大震災、阪神・淡路大震災に次いで3番目に多い犠牲者を出しています。この体験を教訓に、コロナ禍だからこそ、備えあれば憂いなしの精神が必要ではないかと考えます。 加賀市では、毎年恒例の市挙げての防災訓練を実施しております。しかし、本年は皆様も御承知のとおり、新型コロナウイルス蔓延によりやむなく中止となりました。
我々の身近なところでは福井地震、私も知らなかったのですけれども、東日本大震災、阪神・淡路大震災に次ぐ戦後3番目の規模の震災であると聞いております。ことしの6月でもう69年もたつと聞いております。いつでも出動できる、活動する準備のできている消防ではありますけれども、災害発生等で非常呼集、消防の総動員、そういったことのないよう祈りながら、質問に入ります。
次に、3温泉の宿泊施設の耐震状況、これは先ほど言いましたとおりでありますが、私も実は今から思い出すと、約70年余り前でございますが、大変北陸でも最大の災害でありました福井地震、これを思い出しますと、本当に当時のことを思うたびに、また走馬灯のように脳裏に映ってまいります。
北前船主の屋敷の土台の下には、地中に何層にも深田石が敷かれており、そのため、昭和23年6月28日発生の福井地震に対しても、深田石を使っていた北前船主の家は被害が全くなかったと言われております。 この深田石の採掘場所は、橋立海岸の至るところで見ることができます。片野海岸に至るまでの間に、多くの石の切り出し跡が残っております。
そして1948年の福井地震がマグニチュード7.1、1952年の大聖寺沖地震がマグニチュード6.5というふうになっておりますし、記憶に新しい1996年の能登半島沖地震、これがやはりマグニチュード6.6となっておるんです。
また、加賀沖におきましても、福井平野東縁断層帯には三国町沖断層と加賀市沖の断層という2つの断層帯がございまして、このうち三国町沖断層帯が昭和23年に甚大な被害をもたらしました福井地震の原因となったというふうに言われているところでございます。
先ほど震度等の御質問ございましたけれども、その辺の詳細な調査はしておりませんけれども、昭和23年度の福井地震に耐えてきた実績もございますもので、耐震強度を備えているというふうにもお聞きしております。
福井地震の被害状況について、死者15名、重傷者23名、軽傷者200名と答弁いたしましたのは旧の大聖寺町のみの被害状況でございました。 当時の中央気象台の調査概報によると、石川県内の被害状況は、死者41名、負傷者453名であります。このうち現在の加賀市の区域では、死者39名、負傷者451名でありますので、訂正をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。
本庁舎は、本田部長のいう特定建築物に該当するか否かの解釈に関係なく、昭和23年に発生したマグニチュード7.1の福井地震のような規模の地震が発生した場合に、本庁舎は、対策本部の機能を保つことができるのかどうかをあわせてお尋ねするものであります。 次に、4番目のライフラインとしての水道事業であります。今後の水道事業及び事業費の見込みについてお尋ねいたします。
今から60年前の昭和23年6月28日、私は福井地震を体験いたしました。福井地震は、福井県嶺北地方から石川県加賀地方にかけての一帯を襲った大地震で、震源は丸岡町付近、地震の規模はマグニチュード7.1、福井市での震度は現在の震度階級では震度7という都市直下型地震でございました。死者数は阪神・淡路大震災に次いで、戦後日本で2番目に多い被害を出しております。
ちなみに、この福井平野東縁断層帯西部が原因となって発生したのが御存じのとおり、昭和23年の福井地震であります。この断層帯の存在も踏まえ、県では大聖寺の直下を震源とする地震による被害を想定しており、本市防災計画の地震対策編では、この被害想定に基づく対策の実施について定めております。
石川県内においても、特に小松市では約60年前の福井地震が一番記憶に新しいと思いますが、災難はいつ起きるともはかり知れないのも現実であります。 3月3日の新潟日報によると、このように記載されております。新潟県長岡市は、中越地震の教訓を学び、2007年度から改築に着手する中学校校舎に避難所の機能を設け、災害時には地域住民の避難所として転用できるよう整備する。
私が見た限りでは、像の変遷、例えば福井地震で倒壊して建てかえたとか、それから学校の改築によって位置が変わったというような像の変遷そのものを開設した銘板はありましたが、金次郎を解説したものは皆無でありました。もっとも、考えてみれば建立された当時は授業で教わったので、その必要がなかったのです。 そこで私は、金次郎像のわきにいわれを記した解説板の設置をぜひと提案いたします。
昭和23年6月に発生した福井地震、そして私たちの記憶に新しい11年前の阪神・淡路大震災。そしてもう一つは、昨年の新潟の中越地震であります。
石川県内での過去の地震では、福井地震、北美濃地震などの影響による被害を受けた経緯もございます。現在、活断層で森本・富樫断層帯があり、全国で見る今後30年以内の地震発生確率がゼロから5%で、発生順位的には15番目に位置するであろうという認識でありましたが、平成17年10月18日、独立行政法人産業技術総合研究所により、全国の主要活断層について今後30年間の活動確率が公表されました。
本市においては、最も被害が大きかったのは昭和23年、福井地震マグニチュード 7.1、大聖寺、塩屋、瀬越、橋立、三木を中心に倒壊家屋が 3,197戸、死者が34人、負傷者 127人の被害が発生しております。 また、石川県がまとめた石川県地震被害想定調査報告によれば、本市から小松市、金沢市にかけてマグニチュード 7.0の規模で発生し、本市において甚大な被害をもたらす地震が想定されております。
その他近隣では、1948年福井地震、1964年新潟地震、1983年日本海中部地震がありました。このようなことから、昨年の中越地震のような土砂崩れの災害がないとは限りません。事前に調査・保全をする必要性があると思われますが、いかがでしょうか。 その3、津波についてお尋ねをいたします。 七尾市は、富山湾、七尾湾の沿岸に面した地域であります。
1948年、昭和23年の福井地震から57年。ことしは新潟に大きな地震が発生し、現在も多くの市民の方々が避難を余儀なくされています。本当に早い復旧を望みます。たまたま先日、新聞に福井地震のことについての記事もありました。調査は政府の地震調査委員会が発表していました。「福井平野東縁断層帯、マグニチュード 7.5クラスの地震が30年以内に 0.4%、50年以内に 0.7%、可能性ややある。
加賀市における過去の地震については、昭和23年の福井地震、死傷者 161名、建物被害 3,690棟、昭和27年の大聖寺沖地震では、死傷者10名、建物被害 3,590棟と、大変甚大な被害が発生しております。
加賀市内で最も被害が大きかった福井地震、私が生まれる前ですけれども、1948(昭和23)年6月28日午後5時13分に発生しました。ことしで54年目です。先月も震度3の地震があったのですが、もうそろそろ大きな地震が来ることを想定しなければならないと私は考えます。そこで、加賀市防災会議発行の加賀市地域防災計画を点検してみました。